【奈々の日常】第二話 補習

 

先生が自習室に来たのは、奈々がテストを終了させてから90分後だった。
空調が効きすぎて暑くなりかなりの寝汗をかいていた。奈々は喉が渇いて一度だけ起きたがすぐに寝てしまった。先生が到着するまで爆睡していた。

一度起きた奈々は餞別にもらったジュースを飲み干して、着ていたブレザーの制服の上着を脱いでロッカーに入れた。ノートも必要なくなったのでカバンに入れた。寝ているときに少しだけヨダレが付いてしまったので恥ずかしいという気持ちになった。起きてからは寝ないようにしようと思ったのだが睡魔には勝てなかった。
カバンも上着も着ていたコートもロッカーに入れた。鍵はかけていない状態だ。

奈々が寝ないように頑張っていた時間は、まだ夕暮れで部屋の中にも陽が差し込んでいた。

それから60分以上が経過している。
冬に入り始めたこの時期は夕暮れから一気に暗くなる。先生もそれが解っているので、奈々も自習室の電気をつけていると思っていた。暗くなるのも解っていたので、帰りは車で最寄り駅か自宅まで送るつもりでいた。それだけではなく、空調があると言っても寒くなることも考えられたので、温かい物を食べさせようと、”あんまん”と”肉まん”と”ピザまん”を買った。自販機で、奈々がよく飲んでいる激甘ミルクティーと自分用にブラックコーヒーも用意している両手が塞がってしまっているが開けなければならないドアは自習室に入る引き戸だけだ。立て付けが多少悪くなっているが中に奈々が居るので大丈夫だろうと思っていた。

先生が4階に上がった。暗くなっている廊下は非常灯だけが光っている状況だ。それだけの灯りで奥の部屋を目指した。

自習室の入り口の扉には窓がない。
部屋の前まで来て中で明かりを点けていれば隙間から光が漏れる。部屋は明るくなっている様子はない。しかし、鍵は空いている。
南京錠が外されているのがわかる。

(桜内のやつ黙って帰ったのか?いや、そんなことはしないか?寝ていると思ったほうがいいだろうな)

両手が塞がっている先生は、ドアを蹴ることでノックの代わりにした。
それが後で一つの出来事のきっかけになるとはこのときには考えもしなかった。

数回ドアを蹴ってから、中に声をかける。

「桜内!桜内!」

外から呼ばれたことで、奈々は目をさまして自分がおかれている状況を把握した。
実際には、その間に先生は数回ドアを蹴っていた。

「あ!先生。ごめんなさい。寝ていました」

「それはいい。俺も遅かったからな。それよりも、ドアを開けてくれ、両手が塞がっていてうまく開けられない」

「わかりました!」

奈々は立ち上がってドアまで移動しようとしたが、部屋が思った以上に暗かったので、なにかにつまずいてしまった。
明かりをつけてドアを開ける。ドアの前では先生が両手に荷物を持っているのがわかる。ポケットには折りたたまれた紙が入っているのがわかった。

「わるいな」

先生が中に入る。奈々がつまずいたのは、机の上に置いていた南京錠だ。急いで起き上がった為に床に落ちて、それを蹴ってしまったのだ。足に何かがあたったことに驚いて、奈々はつまずいた感じになってしまったのだ。

「先生。それは?」

「昼を食べていないだろう?買ってきたから食べろ。お前が食べている間にテストの採点をするからな。こっちには、お前がよく飲んでいるミルクティーが入っている」

「え?いいのですか?」

「遅くなったからな。その詫びだ」

「遠慮なくいただきます!」

袋を受け取って中を確認する。

「あ!私が好きな”あんまん”と”肉まん”と”ピザまん”だ。全部食べていいのですか?」

「いいぞ?俺は食べてきたからな」

「ありがとうございます」

飲み物が入っている袋から、ミルクティーを取り出して口をつける。

「甘い!嬉しい!」

机の上に置いてあった奈々の答案用紙を持って奈々が座っていた机の横にあった椅子に座った。採点を始めるようだ。

「コーヒーは先生のですか?」

「そうだ」

「よくコーヒーなんて美味しくないものが飲めますね」

「コーヒーの良さがわからないから子供だと言われるのだよ」

「違います。私は大人です!」

「はい。はい。大人は自分のことを大人とは言わない。そうだ。桜内。ロッカーに鍵をしておけよ」

「え?あっでも」「今日は俺だけだから大丈夫だけど、癖にしておかないとダメだ。鍵をしておけ」

「はい」

奈々は、上着とコートと荷物を入れたロッカーに鍵をかける。
スカートにはポケットがないので、空いている机の上に置いた。

先生が座っている椅子と90度の位置にある自分が座っていた椅子に戻って、先生が買ってきてくれた”あんまん”と”肉まん”と”ピザまん”を食べ始める。ミルクティーを飲み始めるときに先生が声をかける。

「桜内。補習のペーパーを渡しておく。内容を確認しておけ、後10分くらいで採点が終わると思うからな」

「はぁ~~い」

先生からペーパーを受け取って内容を確認する。
奈々が好きな戦国時代や関係があった西洋史の年表が書かれている。いくつか年表に空白があることから、補習の内容だと判断できる。授業で習っていないと思える場所も有ったのだが、興味があった時代のことなので少し補習が楽しみになってきた。
ペーパーを確認しながら採点をしている先生の顔を見る。
増田先生は、生徒に密かに人気がある。授業はマニアックな内容に走ることもあるが、聞けば教えてくれる。テストも持ち込みOKにして、無闇に難しいテストはしない。授業をしっかりと聞いてノートに取っていれば答えられる内容なのだ。それでいて、受験勉強にも過不足なく対応できている。
そして、奈々に食事と飲み物を持ってきたことでも解るように気遣いと優しさを持っている。40半ばだが感じさせない若さもある。イケメンではないのは確かだが見た目は悪くない。100人の女子がいれば37人くらいは”いい男”と答える可能性がある。おちゃめな面もあり文化祭では生徒に混じって馬鹿騒ぎをすることもある。硬軟の使い分けが上手いのだ。

「よし!」

先生が声を上げる。

「え?」

「桜内。テストは、少し勘違いしている部分があるが、大丈夫だ」

「え?どこですか?」

「ほら・・・。そうだ、桜内。補習の範囲でもあるから、一緒に説明する。テキストを・・・」

近づいてきた奈々を少しだけ遠ざけるようにしてから、テキストを使った補習に入った。
補習の内容は授業で習ったことの復習だけではなく、日本史と世界史の関係性を年表にして勉強する物だった。

17世紀初頭に日本では江戸に文化の中心が移った。
同じ時代に何が発生していたのかを覚えることで日本史と世界史の両方を関連付けして覚えることができる。江戸幕府が成立する一年前にオランダが東インド会社を設立した。こうして関連付けの説明を先生は奈々に質問する形で教えていく。西洋史だけではなく、アジア圏の歴史も合わせて教えていく。
奈々は、先生のこの教え方が好きなのだ。覚えやすいということもあるが、なにかを”ど忘れ”しても関連付けしてあることを思い出すことができれば、自然と導き出されるのだ。そして、歴史は川の流れに似ていると生徒に教えている。
『歴史は繰り返すが戻ることは無い。無理に戻そうとする勢力は必ず現れるが歴史は戻らない。流れを理解していれば、名称を忘れても大丈夫だ。一度覚えたことは必ず思い出せる』
奈々は、先生のこの言葉が好きだ。塾で出る歴史のテストで何度も実感している。そして、歴史を覚えたことで地理が自然と頭に入っている。
だが、増田先生以外の先生に教えられた部分がどうしても覚えることができなくて、歴史には苦手意識を持ってしまっている。

すでに補習は1時間を過ぎようとしていた。
部屋には窓が付いている。空気の入れ替えができる程度の窓だ。そこに、雨粒が当たりだした。

最初は、ポツポツと弱く当たるだけだった。
窓を閉めて空調を最大に使っている状態で、外は暗闇が支配している。雨に気がつくのが遅くなってしまってもしょうがないことだろう。